理念 こころの平安
2013.01.17 初版
公益社団法人 大津市医師会
大津市医師会在宅療養推進委員会
は誰でも生まれた時から、生活の延長線上にある死へ向かって歩いている。
そしてより良く生き、最期には苦痛のないことを多くの人が望んでいる。
その過程の中で、病気や障害を持つ人は多い。治せるものなら治すことも必要。
その場合は、医療の力が大きい。しかし、治療としての医療的対応は、人の「生きている」姿を見せるだけでなく、 生命を守る力とともに、生活者の姿がどれだけみえているかが大切である。
は死ぬために生きているのではない。人には「こころ」があり、感情が ある。死へ向かいながらも、幸せと思える日が一日でも長いことを願ってい る。そのこころ(願いや想い)を知ることが最も重要である。そのこころを摑むため には、本人の表面的な状況だけでは全てを知ることはできない。
「生きていく」つまり、QOLの高い生活を維持することは、本人の希望を取り入れ、 医療介護などの専門者や地域の支えが相互に関わることによって、 初めて保障される。それが本来のチームケアの姿である。

医 療・「生きていること」
命への支援(医学的対応・治療(キュア))

療 養・「生きていくこと」
生活への支援(多職種連携によるケア)

1.医療支援(医療、看護、リハビリ、予防など)
2.介護支援(住まい、移動、移乗、外出、歩行、食事、排泄介助)
3.生活支援(住まい、食事、掃除、ゴミ出し、買い物などの支援)
4.生きがい支援(思いや願いを達成するQOLの向上)
5.こころの支援(自分らしい生活・愛する家族・慣れ親しんだ暮らし)

 本人が、現在のくらしの中で、何ができて何が不自由なのか、 その不自由さ誰が助けているのか。1日24時間のうち、 専門職のケアが介助できるのはせいぜい3時間である。 残り21時間は、本人か家族が対応している(しなければならない)。
 そのような状況下であっても、本人が、これまでの人生の延長線上に身を 置きながら自分らしく暮らしていけることのよろこびを 感じられるような生活をチームで支える。


「心身機能・構造」=生物レベル(生命レベル):
手足の動き、精神の働き、視覚・聴覚、手足機能、心肺機能 など
「活動」=個人レベル(生活レベル):
日常生活行為、家事行為、余暇活動、できる活動、している活動 など
「参加」=社会レベル(人生レベル):
社会参加、仕事ができる、主婦の役割、地域活動参加、政治活動参加 など

 従来の国際障害者分類では、社会的不利(生活の困難さ)は、障害(疾病)があることが主な原因と考えられていた。国際生活機能分類(ICF:International Classification of Functioning, Disability and Health)はそれとは異なり、たとえ脳卒中で上下肢に麻痺があり、車いす生活でも、車いすへの移乗を手助けしてくれる人がいて、駅にはエレベーターがあり、駅員の協力があれば旅行は可能であるという考えに基づいている。

 障害や疾病を持つことが、人の生き方を左右するのではなく、本人を支える方法が充実し、生き方や願いなどに目標が統一されていれば、本人の活動が増え、社会活動が活発になることを示している。本人が知らなかった潜在能力も見出されることにもなり得る。つまり、ICFは、「心身・構造機能」「活動」「参加」「環境因子」「個人因子」「健康状態」がそれぞれ相互に影響し合っているという考え方である。

 医療連携は、医療関係者同士の連携が主である。これまでの疾患別の地域連携パス(例えば、大腿骨骨折連携パスなど)は、ケアマネジャーや介護関係者などとの連携はほとんどない。医学・医療情報の連携に偏りがちである。

 医療介護連携は、医療と福祉・介護の連携である。ケアマネジャーや在宅主治医を中心にして在宅療養を支えるすべての職種が関わる。医療はもちろんであるが、いのち・くらし・こころの連携になる。すなわち、『こころの平安』は、医療と介護の連携シートである。


 在宅サービス利用者と最初に出会う事が多いのはケアマネジャーである。ケアマネジャーが利用者のアセスメントをして、本人の希望や願いを明確にし、ケアプランが作成される。さらに、ケアプランを活かした“おうみ在宅療養連携シート”の作成によりケアマネジャー、訪問看護師、福祉職(訪問介護員、通所職員)、本人(家族)に対して、目標(本人・家族の思いや願いを踏まえて)を明らかにできる。

 そして、本人をケアするための情報を共有し、必要な医療情報(麻痺やけいれんの有無、心肺機能、薬の副作用など)を伝えるとともに、日常生活の “異変”(病気の増悪症状など)に早期に気づく情報を提供することが可能になる。主治医に対しては、利用者の在宅での生活状況や通所サービスにおける利用時の様子を知らせることができ、本人の思いや願い(本音)の達成に向けた支援ができる。 終末期においては、人工栄養についての意思表示、死生観や緩和ケアへの思い。 宗教・信仰も個人因子に組み込んでいけることが望ましい。


1.本人・家族の思いや願いを明らかにし、皆が共有できる。
2.時間をかけて、終末期の考えも視野に入れる。
3.残存能力や潜在能力を引き出し、本人の社会参加を目標にする。(ICFによる目標の設定が重要)
4.病気や障害を有しながらも、QOLの高い生活を送れるように、支える人たちが心を一つにする。

 おうみ在宅療養連携シートを作成することで、医療関係者には生活情報が提供され、介護福祉関係者には医療情報が提供される。ケアマネジャーが総合的な情報を得ることができ、ケアプランの作成にも役立つ。

 退院から在宅、在宅から入院する場合にも、生活情報や本人・家族の「思いや願い」を伝達することにも活用できる。


 終末期において、人工的に水分・栄養補給を行わないという選択肢も場合によってはある。「自然にゆだねる」といわれるものである。

 以前は、医学が未発達であったため、一時的にであれ、口から食べられなくなると、人は生命の危機に直面していた。傷が癒え、あるいは嚥下機能が快復して口から再び飲食できるようになるまで耐えて、体力がもてば、生き延びられていた。その間、飢え、渇きに耐えていた。現在でもこのようなやり方はできないわけではないが、快復の望みがある場合や、水分・栄養補給さえできれば、まだしばらく良い生が可能である場合には、適切でないと考えられている。「自然にゆだねる」方法を医療側が許容する可能性がある場合は、次の通りである。

【 1 】
経口摂取ができなくなっている期間がごくわずかで、その間、水分・栄養補給をしなくても、 生命を維持できると見込まれる場合(医療側は決して、人工的に水分・栄養補給をしないことを 薦めないが、本人の意思が固い場合、それを仕方なく尊重する場合がある)。

【 2 】
全身状態が悪化していて、医学的にもはや快復の可能性がなく、水分・栄養を補給しても、 身体がそれを有効に使えるような(新陳代謝)状態ではないため、生命維持に役立たず、 本人の苦痛を増やすだけの場合(医療側は、この場合は、人工的な補給をしないことを薦めることが適切)。

【 3 】
水分・栄養補給をすれば、生命維持ができる(延命効果がある)が、延びた命が、本人にとって本当に益となるかどうか疑わしいため(ないし、ただ苦しい/意味のない日々となるだけの可能性がある)、本人の人生観・価値観に基づくなら、これをしないという選択もあり得る(これがグレイゾーンで一番難しい。現状では、本人・家族がしっかりした理由を挙げて、 これを希望する場合に、医療側はそれを受け容れるという対応が適切)。

 経口摂取が可能なところまで食事介助し、それが不可能となったあとは、人工的な栄養と水分補給を行わず、基本的な看護ケアを行いながら看取る。適切な口腔ケアを行って、口腔内を清潔に保つことが大切(唇が乾いてひび割れないように湿らす、小さな氷のかけらを口に含む)。

 人工的な栄養と水分補給を行わないということ、本人を「餓死させることになる」と不安に思うかもしれないが、本人ができるだけ苦痛の少ない最期を過ごすためには、人工的な水分と栄養補給、特に強制栄養は逆に負担になることがある。終末期に余分な水分や栄養を投与しないことも大切であり、緩和ケアとして人工栄養を活用することが望ましい。

 「自然にゆだねる」かどうかは、慎重な検討が必要。一見、非常に衰弱しているように見えても、終末期ではなく、一時的に摂食困難になっているだけで、適切な治療とケアによって、快復やQOLの改善が期待で来るかもしれない。そうであれば、人工的な水分と栄養の補給は必要であり、見極めが肝心であり、本人家族とともに医療・福祉での話し合いが必要。


OE法:間欠的口腔食道経管栄養法
食事のたびに口から食道にチューブを入れて流動食を注入する方法
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